試作品置き場

アラサーだけど絵がうまくなりたい男のブログ

アラうま、始めます

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10年の進化

はじめに

はじめまして。インターネットに時折イラストを上げるなどの活動をしている、たかむこと申します。

色々と思うところがあり、お絵描きブログを始めることにしました。理由をきちんと書くと長くなるので、経緯については別途一つの記事にしようかと思っていますが、このブログの目的は一つです。

  • 画才のない人間が、楽しみつつそれなりに上達する勝ち筋を見つける

これだけです。

ちなみに筆者は1991年生まれの29歳、もはや急には上手くならない年齢ですし、周囲からの婚活圧の高さに若干焦りも感じています。

それでも、「上手くなれない」人たちに、「こいつが上手くなれるんだから自分だって上手くなれる」と思ってもらいたい。そう思って色々と曝け出しながら始めることにしました。

ブログのカテゴリとtwitter での ハッシュタグ#アラうま です。「アラサーだけどうまくなりたい」の略です。アラフォーでもアラフィフでも、むしろ人生の先輩からはフィードバックを頂きたい所存です。よろしくお願いします。

背景

世の中に数多ある「絵の描き方」には一つの問題があります。いや、あらゆるスキル上達法における根本的な問題と言っても良いでしょう。

スキル上達について語る人間は最低限の才能を持っている ということです。言い換えれば、世の中で絵を教えている人たちは「もともとある程度描ける人」なのです。そういう人たちの言うことを真に受けて、私は10年以上も時間を空費してきました。

こういうことを言うと、「才能のせいにするのは甘え」といったことを言う人間がいますが、私はこの意見に断固として反対します。*1

これは私論なのですが、実力というものは単純化すると3つの式で表すことができます。定量的に示すことができない感覚的なものですが、自分の得意な分野と苦手な分野をいろいろと眺めてみるとこの範疇に入るのではないのかな、と思っています。

  1. 実力 = 才能 × 練習
    1. 才能 = 当該分野でのメタ認知能力 + 身体的な適性 + 情熱
    2. 練習 = 練習の質 × 練習の量

つまり、実力というのは (メタ認知能力 + 身体的な適性 + 情熱) × 練習の量 × 練習の質 となるわけです。

このうち、自分で変えられるのは練習の部分だけです。メタ認知能力は多少変えられますが、才能の部分はほとんど触ることのできないものです。

しかし、才能のある人間が練習を語ることで、才能のある人向けの練習法が持て囃されます。

異分野ではどうでしょうか。筆者は観る将に毛が生えた程度の棋力しかない将棋ファンですが、将棋の世界では「大人になってから始めた人が実戦ばかりしていても上手くならない」と言われます。お絵描きの世界でデッサン不要論があるように将棋の世界でも詰将棋不要論はありますが、だいたいはレベルに合った詰将棋と棋書を用いた勉強、そして棋譜並べがよく推奨されます。(そして初段までは棋譜並べはあまり重視されていない気がします)

ところがお絵描きの世界では、「とにかく作品を作れ」「デッサンをしろ」「いいや模写だ」など、相手のレベルを考えない(そして発言する人はそれで強くなった)「練習法」が溢れています。それらを見て混乱すると、練習すれども上達できない人が生まれるわけです。過去の筆者ですね。

そういった人間を一人でも減らしたいという思いと、才能のない人間が実際にどうしていくと良いのかを示すことで、全ての才能のない人間に勇気を与えたいというのが私の願いです。

正直、自分に合っている先生が見つけられたらその人に頼るのが最速ではあるのですが、このブログでは自学を対象にしています。(正直なところ、色々と落ち着いたら絵画をきちんと習いたいと思っています)

対象読者

本ブログの対象読者は、ピンポイントには「何をやっても絵が上手くなる感じのしない人」となります。広義には「才能のない分野でスキル習得を行いたい人間」となるでしょう。

といっても、筆者がどれくらいのレベル感なのかというのは示す必要があるでしょう。冒頭に示した比較画像をご覧ください。10年でこれだけしか上達していません。(言い訳すると、就職してからほとんどお絵描きしなくなって長い停滞をしています)

ちなみに2010年は「人に出せる」と思ってこれなので、初期値はもっと酷かったことを付記しておきます。一例を挙げると、中学の美術は「期限に提出すれば70点を出す(1日遅れたり忘れ物をするごとに5点減点)」という条件のもとで期限通り・忘れ物なしで提出し72点を取り、 男子校で230人中190位 という輝かしい成績を叩き出しています。つまり、 素の画才は人類最底辺レベル です。このレベルでも練習だけで、つまり才能係数がほぼゼロの状態でここまで持ってきているので、自分以上に才能のない人間が上達する過程を理解できる人はほとんどいないんじゃないか、と思っています。(ちなみに美術の絵は同様の条件で常に75点未満でした)

せっかくなので計算してみましょう。最高点の人が90点台中盤だった気がするので、減点なしならば平均80点、標準偏差5の正規分布に従って点がつけられるとします。このとき、最上位は94点以上、72点の私は下位5.4%です。つまり 偏差値でいうなら34 です。笑えますね。

元気、出てきましたか?

無理矢理な計算ですが、画力偏差値34からここまで来られるのです。頑張っていきましょう。

提案する手法

得意なことに置き換える作戦

偏差値30台の人間には通常の作戦は通じません。高校でいうならば教育困難校です。決して貶しているわけではなく、自分が絵において教育困難者だったからこその実感です。(実際はコミュニケーション能力も壊滅的だったので、実感は倍強いです)

そこで、他の画力向上法では絶対に使わない考え方を導入します。その第一が 得意なことに置き換える 作戦です。

実は、絵を教える人のほとんどは「絵が一番(と言わずとも非常に)得意なこと」です。なのでこの考え方は、絵を教える人からは絶対に出てこないでしょう。

筆者はITエンジニアとして働いており、プログラミングが得意です。この視点から、過去の筆者を眺めてみましょう。

筆者の経験から、プログラミングが苦手な人は必ずと言っても良くエラーメッセージが読めません。対して、得意な人は特に教えられることもなくエラーメッセージを読みます。このような観察から、「自分はプログラミングでいうならエラーメッセージが読めない側の人間だ」という理解ができます。

エラーメッセージが読めない人間が「プログラミングできる」状態になるためにはどうすれば良いでしょうか。根性論ですが、読めるようになるしかありません。ここからは「自分にとってのエラーメッセージは何か」という問いにシフトしていくことになります。

この考え方は最近導入できたので、初心者の頃の「エラーメッセージ」が何だったかは思い出せません。ですが、絵における「エラーメッセージ」はデッサン的な物の見方なのではないかと思っています。換言すると、

  • 物体の形状を把握する能力
  • 濃淡を把握する能力
  • 色を把握する能力

の三つではないでしょうか。

この問題を解消するためにはデッサンをやれば良いという答えになるでしょうし、大抵の場合――素の画力偏差値が40以上あれば――それは正しいでしょう。

ですが、ここで問題にするのは偏差値30台の人間がやる方法です。どうすれば良いでしょうか。

異分野のスキル獲得に置き換える作戦

「得意なことをどう学んだか」は言語化しにくいものです。私はITエンジニアとして、業務をこなすうちに勝手に強くなったので、強くなる方法を一切言語化できていません。(勉強もその時の興味分野しかやっていないため、戦略的な勉強は一切していません)

得意なスキルの視点から絵を眺めることで鳥瞰的な視点を獲得することはできましたが、この視点は実際のスキル獲得とは大きく離れています。

そこで、実際のスキル獲得については「ちょっと出来るけどスキル獲得に時間がかかった(かかる)もの」で考えると良いでしょう。筆者の場合は将棋になります。

将棋の場合は学習がかなり体系化されていますが、大事なポイントとして レベル別にトレーニングがきっちり分かれている という点があります。初心者がプロ棋士と同じ勉強をしても意味がない、という点にはおそらく全員が同意できるはずです。

将棋では詰将棋一つとっても棋力別に一手、三手、五手…と分けられており、初級者がいきなり七手詰めをやっても得るものが少ないとされています。戦法書も初級者向けからプロがアマ高段者向けに書いてあるものまで幅広くあり、初級者が後者を読んでも理解することすら覚束ないでしょう。

この状況を頭に入れた上で絵の世界を眺めてみましょう。デッサン(石膏デッサンなど)は言うなれば長手数の詰将棋です。プロを目指すならば『将棋図巧』に掲載されているような重い詰め将棋を大量に解く必要がありますが、趣味のアマチュアがそこまでやる必要はないでしょう。むしろ初段を目標とするならば一手詰から初めて三手、五手詰めがスラスラ解けるようになることが大事になります。趣味の人間にとっては「自分にとっての短手数詰将棋」を見つけることが肝心となります。

模写はどうでしょうか。将棋でいえば棋譜並べ(主にプロの公式戦を実際に盤と駒で再現する勉強法)でしょう。棋譜並べは機械的に並べていても意味がないとは言われますが、模写もその通りです。プロの絵や棋譜から何を学びたいか明確にしないと学び取れない勉強法です。

技法書はわかりやすいですね。将棋でいえば棋書になります。将棋の場合は自分のレベルに合った棋書を読み込むことが大事ですが、絵の場合も自分のレベルに合ったレベルの教本をこなすことが大事です。

このように、得意なことや異分野に置き換えてある程度俯瞰することで、絵においては全く足りていなかったメタ認知能力が少しだけ上がります。

メタ認知能力を上げれば、全ての練習の効果が上がります。そして、偏差値30台の人間にはほとんどメタ認知能力がありません。1の適性を持った人間が0.1の積み増しを行っても練習の効果は1.1倍にしかなりませんが、 0.05の適性しかない人間が0.1積み増すと練習の効果は3倍になります。

このように当ブログでは個人的な経験と実践、そして少しの思考法を利用することで平均を大きく下回る適性しか持たない人間が

  • どうやって自走可能になるためのメタ認知能力をつけるか
  • どうやって練習するか

を解き明かしていきたいと思っています。

で、何をやっていくの?

  1. 「何を考えて」練習していくかを見せることで、メタ認知能力のない人間がどう練習すべきかを提示する
  2. 上記の練習法にたどり着くために、いかに上述したような論理の飛躍を利用するか思考過程を示す
  3. 一般的なノウハウでは言及されない、「偏差値30台には見えない常識」を言語化する

の3点をやっていきます。第一はもちろん自分の練習ですが、2, 3についてもできる限り書くつもりです。

まとめ

なんとなく量をこなしてそれなりになるのは才能のある人間の特権である

*1:ボディビルダーは口を揃えて育ちやすい部位とそうでない部位があると言いますが、努力を極めた人々でさえこうなのだから況んや一般人をや、といった感じです